賤ヶ岳ウォッチング

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伊香具神社

滋賀県長浜市(旧木之本町)にある。
賤ヶ岳の東麓、木之本駅から西へ2Kmほどの大音に鎮座。

8号線から500mほど北にある道路脇に参道入口の鳥居と社号標が立つ。
参道は100m以上あるかもしれない。
参道入口の鳥居は、通常の明神鳥居だが、
境内の入口には、ちょっと変わった鳥居が立っている。
分類としては神明鳥居。
それに、両部鳥居のように稚児柱が付いているが、
これが通常四本のところを、倍の八本。
さらに、鳥居左右に三輪鳥居のように脇鳥居が付いている。
境内の案内では「伊香式鳥居」というらしい。
往古、このあたりは湖沼地であったため、
水辺の不安定な場所で、安定性を確保するための稚児柱と、
神奈備である香具山を祀る形態が三輪に通じるということらしいが。


伊香具神社参道

5月初旬には八重桜が見ごろを迎えます。夜は9時までライトアップしています。

2019年06月23日

古戦場賤ヶ岳


 安土桃山時代、本能寺の変で織田信長が倒れた後、明智光秀を討ち実質的な主導権を握っていた豊臣秀吉と、織田家の旧臣中第一の家柄を誇る柴田勝家との間で権力争いが生じ、ついに武力をもって決着を付けようとしました。これが俗にいう「賤ヶ岳の合戦」です。

 余呉湖を挟んで、両軍は北と南で睨み合っていましたが、天正11(1583)年の4月20日の未明、勝家側が大岩山に奇襲攻撃をかけた時に始まり、秀吉が勝利を手にするまで、わずか2日足らずで終わっています。辺りは、あまたの屍体で埋め尽くされ、余呉湖が血で紅に染まったといいます。
斬りこみ一番槍の功をたてた、世に名高い秀吉旗下の「賤ヶ岳の七本槍」の活躍はこのときの武勇伝です。

 賤ヶ岳の山頂広場には、戦跡碑や、戦没者の碑が立てられており、尾根続きの大岩山頂にも、秀吉側の武将中川清秀の墓があります。さらに、北麓には広い範囲にわたって、両軍の戦死者の墓や遺跡が点在し、南麓の山梨子(やまなし)集落には、落人伝説が残されています。
賤ヶ岳雲海賤ヶ岳雲海
2019年06月23日